今一つは北村脩一の叔父にあたる京都の大工 9代 北村伝兵衛の存在。北村は屋号を房屋、名を伝兵衛、商号を大伝として京都の高瀬川に面する木屋町に居をかまえておりました。町屋を多く扱ったことから一般的には町屋大工とカテゴライズされていますが、心構えとしては数寄屋師・社寺宮大工といった区別はしておらず、多くの数寄屋に携わったことより数寄屋大工としても評価されています。作品創りとともに、茶室・日本建築を伝える著述も残しており、千宗室・村田次郎との共著「茶室 設計詳図とその実際」(淡交社刊)などからもその一端を読み取ることができます。同著の作図は脩一父の信次郎(元大倉土木、祇園閣などを担当)が行っており、このような数寄屋建築の多彩な表現を身近に感じる環境が大きく影響しています。伝兵衛自身、坂倉準三・西澤文隆とも交流があり坂倉準三設計のミュンヘンにドイツ博物館日本館として建てられた茶室も手掛けています。 9代伝兵衛の手による町屋は100棟を超えるといわれ、伊東忠太設計の大倉喜八郎京都別邸や
藤井厚二設計で小川治兵衛が作庭した小川邸などにも携わっています。 |
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茶室 設計詳図とその実際 |
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「木」誌1974-12表紙は天保2年刊の「京町絵図細見大成」の京都木屋町付近。房屋は天正年間から元禄の頃(16C末)より木屋町(美濃屋町)で大工を営んできたと伝えられています。(なお、旧字の北村傳兵衛・大傳を本HPでは新字表記としています。) |
「木」誌 1974-12 篠田銘木店刊 伊藤ていじ氏と北村伝兵衛対談 |
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坂倉準三と北村伝兵衛 |
2012年8月20日より開催されたの公益法人竹中大工道具館巡回展「数寄屋大工 美を創造する匠」の数寄屋大工列伝に北村伝兵衛も紹介されました。詳細は竹中大工道具館HPへ。 |
自筆メモ、解説資料 |
ドイツ博物館日本館(1962)の京都山科での仮組起工式にて |